医療セミナーを終えて。
「いろいろな時や想いを乗り越えてここまできたんだ」というしっかりとした実感がこの胸にある。うまく表現できないが、今の思いをつづってみる。

今回のセミナーの肝は、参加者からいただいた質問を、わたしを通して、聞く、「親と医者との対話形式」になっているところだった。

事前質問やふせんに質問を書いてもらった。その場で直接口頭での質問にしなかったのは、極めてプライベートなことを、みんなの前で発表することを避けるため。

わたしも自閉症の子を持つ親だから、親の立場を代弁する形で問いかけをした。
自閉症の原因のことや治療薬のこと。胸がざわざわする思いを抱えながら、みんなの質問に、わたしも知りたい気持ちを重ねて。

意外だったのは、もっと感情が揺れるかもしれないと予想していたのが、思ったよりもじぶんが平静だったことだ。
昔わたしは怒っていた。無力な医療に対して。福祉に対して。教育に対して。

今は怒ってはいない。
深いところで、絶望している。
それと同時に、「どの人も最善を尽くしている(だけどうまくいかない)」と思っている。
じぶんが何を努力して挫折してきたかを知っている。怒ってもどうにもならない。

僕は、何度も会場の参加者の表情を見回していた。本当に真剣な顔。心配をかかえた悲しげな顔をみんなしていた。僕は鏡を見ているような気分だった。

救いを求めたが、救いは与えられなかった。

微力なんだ。ぼくらは。
ひとりの人間がしあわせになるために必要なことは、万人の努力によって、ようやく見つかるかもしれない、かすかな、もろく壊れやすいもの。

医療は、必ず敗れる永遠の挑戦だ。少しでも、その人らしく暮らせるための努力。積み重ねてきたもの。

LIFEが、短すぎるんだ。不完全で欠けた器から、サラサラとこぼれつづける。直したり、手で押さえても、止められない。

じぶんでは、どうにもできない。そうわかっている絶望と。
できることを持ち寄って、つなぎ合わせて、少しのハッピーをつくりだす喜びと。

そのバランスを、サーカスの熟練した綱渡りのように、右に左にと取れるようになってきた人びと、いろいろな時や想いを乗り越えてここまできた、「同志」という存在を、あの場にいた人たちのなかに見出していたんだ、僕は。

ひとりじゃない、というのはこういうことだ。
そこで、その場で、言葉は交わさなくても、「同じ」苦しみをへて、「今の場所」にいる、「まだ苦しみは続く」、そのことを互いに知りながら。
空

「お達者で」

心の中で言いあって別れる。
無言で励まし合って。

以上で、11月16日に開催した愛知県自閉症協会・つぼみの会主催医療セミナー『医療と上手に付き合う方法~自閉症・発達障害に対して医療は何ができるの?』開催レポートを終わります。

内容については以下をご覧ください。

【報告】『医療と上手に付き合う方法~自閉症・発達障害に対して医療は何ができるの?』開催レポート(1)
【報告】『医療と上手に付き合う方法~自閉症・発達障害に対して医療は何ができるの?』開催レポート(2)
【感想】『医療と上手に付き合う方法~自閉症・発達障害に対して医療は何ができるの?』開催レポート(3)←今回